アップルコンピュータ創立
CEOのスティーブ・ジョブス氏のスタンフォード大学卒業祝賀スピーチ
PART1: BIRTH
ありがとう。世界有数の最高学府を卒業される皆さんと、本日こうして晴れの門出に同席でき大変光栄です。実を言うと私は大学を出たことがないので、これが今までで最も大学卒業に近い経験ということになります。
本日は皆さんに私自身の人生から得たストーリーを3つ紹介します。それだけです。どうってことないですよね、たった3つです。最初の話は、点と点を繋ぐというお話です。
私はリード大学を半年で退学しました。が、本当にやめてしまうまで18ヶ月かそこらはまだ大学に居残って授業を聴講していました。じゃあ、なぜ辞めたんだ?ということになるんですけども、それは私が生まれる前の話に遡ります。
私の生みの母親は若い未婚の院生で、私のことは生まれたらすぐ養子に出すと決めていました。育ての親は大卒でなくては、そう彼女は固く思い定めていたので、ある弁護士の夫婦が出産と同時に私を養子として引き取ることで手筈はすべて整っていたんですね。ところがいざ私がポンと出てしまうと最後のギリギリの土壇場になってやっぱり女の子が欲しいということになってしまった。で、養子縁組待ちのリストに名前が載っていた今の両親のところに夜も遅い時間に電話が行ったんです。「予定外の男の赤ちゃんが生まれてしまったんですけど、欲しいですか?」。彼らは「もちろん」と答えました。
しかし、これは生みの母親も後で知ったことなんですが、二人のうち母親の方は大学なんか一度だって出ていないし父親に至っては高校もロクに出ていないわけです。そうと知った生みの母親は養子縁組の最終書類にサインを拒みました。そうして何ヶ月かが経って今の親が将来私を大学に行かせると約束したので、さすがの母親も態度を和らげた、といういきさつがありました。
PART2: COLLEGE DROP-OUT
こうして私の人生はスタートしました。やがて17年後、私は本当に大学に入るわけなんだけど、何も考えずにスタンフォード並みに学費の高いカレッジを選んでしまったもんだから労働者階級の親の稼ぎはすべて大学の学費に消えていくんですね。そうして6ヶ月も過ぎた頃には、私はもうそこに何の価値も見出せなくなっていた。自分が人生で何がやりたいのか私には全く分からなかったし、それを見つける手助けをどう大学がしてくれるのかも全く分からない。なのに自分はここにいて、親が生涯かけて貯めた金を残らず使い果たしている。だから退学を決めた。全てのことはうまく行くと信じてね。
そりゃ当時はかなり怖かったですよ。ただ、今こうして振り返ってみると、あれは人生最良の決断だったと思えます。だって退学した瞬間から興味のない必修科目はもう採る必要がないから、そういうのは止めてしまって、その分もっともっと面白そうなクラスを聴講しにいけるんですからね。
夢物語とは無縁の暮らしでした。寮に自分の持ち部屋がないから夜は友達の部屋の床に寝泊りさせてもらってたし、コーラの瓶を店に返すと5セント玉がもらえるんだけど、あれを貯めて食費に充てたりね。日曜の夜はいつも7マイル(11.2km)歩いて街を抜けると、ハーレクリシュナ寺院でやっとまともなメシにありつける、これが無茶苦茶旨くてね。
しかし、こうして自分の興味と直感の赴くまま当時身につけたことの多く
は、あとになって値札がつけられないぐらい価値のあるものだって分かってきたんだね。
ひとつ具体的な話をしてみましょう。
PART 3 CONNECTING DOTS
リード大学は、当時としてはおそらく国内最高水準のカリグラフィ教育を提供する大学でした。キャンパスのそれこそ至るところ、ポスター1枚から戸棚のひとつひとつに貼るラベルの1枚1枚まで美しい手書きのカリグラフィ(飾り文字)が施されていました。私は退学した身。もう普通のクラスには出なくていい。そこでとりあえずカリグラフィのクラスを採って、どうやったらそれができるのか勉強してみることに決めたんです。
セリフをやってサンセリフの書体もやって、あとは活字の組み合わせに応じて字間を調整する手法を学んだり、素晴らしいフォントを実現するためには何が必要かを学んだり。それは美しく、歴史があり、科学では判別できない微妙なアートの要素を持つ世界で、いざ始めてみると私はすっかり夢中になってしまったんですね。
こういったことは、どれも生きていく上で何ら実践の役に立ちそうのないものばかりです。だけど、それから10年経って最初のマッキントッシュ・コンピュータを設計する段になって、この時の経験が丸ごと私の中に蘇ってきたんですね。で、僕たちはその全てをマックの設計に組み込んだ。そうして完成したのは、美しいフォント機能を備えた世界初のコンピュータでした。
もし私が大学であのコースひとつ寄り道していなかったら、マックには複数書体も字間調整フォントも入っていなかっただろうし、ウィンドウズはマックの単なるパクりに過ぎないので、パソコン全体で見回してもそうした機能を備えたパソコンは地上に1台として存在しなかったことになります。
もし私がドロップアウト(退学)していなかったら、
あのカリグラフィのクラスにはドロップイン(寄り道)していなかった。
そして、パソコンには今あるような素晴らしいフォントが搭載されていなかった。
もちろん大学にいた頃の私には、まだそんな先々のことまで読んで点と点を繋げてみることなんてできませんでしたよ。だけど10年後振り返ってみると、これほどまたハッキリクッキリ見えることもないわけで、そこなんだよね。もう一度言います。未来に先回りして点と点を繋げて見ることはできな
い、君たちにできるのは過去を振り返って繋げることだけなんだ。だからこ
そバラバラの点であっても将来それが何らかのかたちで必ず繋がっていくと信じなくてはならない。自分の根性、運命、人生、カルマ…何でもいい、とにかく信じること。点と点が自分の歩んでいく道の途上のどこかで必ずひとつに繋がっていく、そう信じることで君たちは確信を持って己の心の赴くまま生きていくことができる。結果、人と違う道を行くことになってもそれは同じ。信じることで全てのことは、間違いなく変わるんです。
PART 4 FIRED FROM APPLE
2番目の話は、愛と敗北にまつわるお話です。
私は幸運でした。自分が何をしたいのか、人生の早い段階で見つけることができた。実家のガレージでウォズとアップルを始めたのは、私が二十歳の時でした。がむしゃらに働いて10年後、アップルはガレージの我々たった二人の会社から従業員4千人以上の20億ドル企業になりました。そうして自分たちが出しうる最高の作品、マッキントッシュを発表してたった1年後、30回目の誕生日を迎えたその矢先に私は会社を、クビになったんです。
自分が始めた会社だろ?どうしたらクビになるんだ?と思われるかもしれませんが、要するにこういうことです。アップルが大きくなったので私の右腕として会社を動かせる非常に有能な人間を雇った。そして最初の1年かそこらはうまく行った。けど互いの将来ビジョンにやがて亀裂が生じ始め、最後は物別れに終わってしまった。いざ決裂する段階になって取締役会議が彼に味方したので、齢30にして会社を追い出されたと、そういうことです。しかも私が会社を放逐されたことは当時大分騒がれたので、世の中の誰もが知っていた。
自分が社会人生命の全てをかけて打ち込んできたものが消えたんですから、私はもうズタズタでした。数ヶ月はどうしたらいいのか本当に分からなかった。自分のせいで前の世代から受け継いだ起業家たちの業績が地に落ちた、自分は自分に渡されたバトンを落としてしまったんだ、そう感じました。このように最悪のかたちで全てを台無しにしてしまったことを詫びようと、デイヴィッド・パッカードとボブ・ノイスにも会いました。知る人ぞ知る著名な落伍者となったことで一時はシリコンヴァレーを離れることも考えたほどです。
ところが、そうこうしているうちに少しずつ私の中で何かが見え始めてきたんです。私はまだ自分のやった仕事が好きでした。アップルでのイザコザはその気持ちをいささかも変えなかった。振られても、まだ好きなんですね。だからもう一度、一から出直してみることに決めたんです。
その時は分からなかったのですが、やがてアップルをクビになったことは自分の人生最良の出来事だったのだ、ということが分かってきました。成功者であることの重み、それがビギナーであることの軽さに代わった。そして、あらゆる物事に対して前ほど自信も持てなくなった代わりに、自由になれたことで私はまた一つ、自分の人生で最もクリエイティブな時代の絶頂期に足を踏み出すことができたんですね。
それに続く5年のうちに私はNeXTという会社を始め、ピクサーという会社を作り、素晴らしい女性と恋に落ち、彼女は私の妻になりました。
ピクサーはやがてコンピュータ・アニメーションによる世界初の映画「トイ・ストーリー」を創り、今では世界で最も成功しているアニメーション・スタジオです。
思いがけない方向に物事が運び、NeXTはアップルが買収し、私はアップルに復帰。NeXTで開発した技術は現在アップルが進める企業再生努力の中心にあります。ロレーヌと私は一緒に素晴らしい家庭を築いてきました。
アップルをクビになっていなかったらこうした事は何ひとつ起こらなかった、私にはそう断言できます。そりゃひどい味の薬でしたよ。でも患者にはそれが必要なんだろうね。人生には時としてレンガで頭をぶん殴られるようなひどいことも起こるものなのです。だけど、信念を放り投げちゃいけない。私が挫けずにやってこれたのはただ一つ、自分のやっている仕事が好きだという、その気持ちがあったからです。皆さんも自分がやって好きなことを見つけなきゃいけない。それは仕事も恋愛も根本は同じで、君たちもこれから仕事が人生の大きなパートを占めていくだろうけど自分が本当に心の底から満足を得たいなら進む道はただ一つ、自分が素晴しいと信じる仕事をやる、それしかない。そして素晴らしい仕事をしたいと思うなら進むべき道はただ一つ、好きなことを仕事にすることなんですね。まだ見つかってないなら探し続ければいい。落ち着いてしまっちゃ駄目です。心の問題と一緒でそういうのは見つかるとすぐピンとくるものだし、素晴らしい恋愛と同じで年を重ねるごとにどんどんどんどん良くなっていく。だから探し続けること。落ち着いてしまってはいけない。
PART 5 ABOUT DEATH
3つ目は、死に関するお話です。
私は17の時、こんなような言葉をどこかで読みました。確かこうです。
「来る日も来る日もこれが人生最後の日と思って生きるとしよう。そうすればいずれ必ず、間違いなくその通りになる日がくるだろう」。それは私にとって強烈な印象を与える言葉でした。そしてそれから現在に至るまで33年間、私は毎朝鏡を見て自分にこう問い掛けるのを日課としてきました。「もし今日が自分の人生最後の日だとしたら、今日やる予定のことを私は本当にやりたいだろうか?」。それに対する答えが“NO”の日が幾日も続くと、そろそろ何かを変える必要があるなと、そう悟るわけです。
自分が死と隣り合わせにあることを忘れずに思うこと。これは私がこれまで人生を左右する重大な選択を迫られた時には常に、決断を下す最も大きな手掛かりとなってくれました。何故なら、ありとあらゆる物事はほとんど全て…外部からの期待の全て、己のプライドの全て、屈辱や挫折に対する恐怖の全て…こういったものは我々が死んだ瞬間に全て、きれいサッパリ消え去っていく以外ないものだからです。そして後に残されるのは本当に大事なことだけ。自分もいつかは死ぬ。そのことを思い起こせば自分が何か失ってしまうんじゃないかという思考の落とし穴は回避できるし、これは私の知る限り最善の防御策です。
君たちはもう素っ裸なんです。自分の心の赴くまま生きてならない理由など、何一つない。
PART 6 DIAGNOSED WITH CANCER
今から1年ほど前、私は癌と診断されました。 朝の7時半にスキャンを受けたところ、私のすい臓にクッキリと腫瘍が映っていたんですね。私はその時まで、すい臓が何かも知らなかった。
医師たちは私に言いました。これは治療不能な癌の種別である、ほぼ断定していいと。生きて3ヶ月から6ヶ月、それ以上の寿命は望めないだろう、と。主治医は家に帰って仕事を片付けるよう、私に助言しました。これは医師の世界では「死に支度をしろ」という意味のコード(符牒)です。
それはつまり、子どもたちに今後10年の間に言っておきたいことがあるのなら思いつく限り全て、なんとか今のうちに伝えておけ、ということです。たった数ヶ月でね。それはつまり自分の家族がなるべく楽な気持ちで対処できるよう万事しっかりケリをつけろ、ということです。それはつまり、さよならを告げる、ということです。
私はその診断結果を丸1日抱えて過ごしました。そしてその日の夕方遅く、バイオプシー(生検)を受け、喉から内視鏡を突っ込んで中を診てもらったんですね。内視鏡は胃を通って腸内に入り、そこから医師たちはすい臓に針で穴を開け腫瘍の細胞を幾つか採取しました。私は鎮静剤を服用していたのでよく分からなかったんですが、その場に立ち会った妻から後で聞いた話によると、顕微鏡を覗いた医師が私の細胞を見た途端、急に泣き出したんだそうです。何故ならそれは、すい臓癌としては極めて稀な形状の腫瘍で、手術で直せる、そう分かったからなんです。こうして私は手術を受け、ありがたいことに今も元気です。
これは私がこれまで生きてきた中で最も、死に際に近づいた経験ということになります。この先何十年かは、これ以上近い経験はないものと願いたいですけどね。
以前の私にとって死は、意識すると役に立つことは立つんだけど純粋に頭の中の概念に過ぎませんでした。でも、あれを経験した今だから前より多少は確信を持って君たちに言えることなんだが、誰も死にたい人なんていないんだよね。天国に行きたいと願う人ですら、まさかそこに行くために死にたいとは思わない。にも関わらず死は我々みんなが共有する終着点なんだ。かつてそこから逃れられた人は誰一人としていない。そしてそれは、そうあるべきことだら、そういうことになっているんですよ。何故と言うなら、死はおそらく生が生んだ唯一無比の、最高の発明品だからです。それは生のチェンジエージェント、要するに古きものを一掃して新しきものに道筋を作っていく働きのあるものなんです。今この瞬間、新しきものと言ったらそれは他ならぬ君たちのことだ。しかしいつか遠くない将来、その君たちもだんだん古きものになっていって一掃される日が来る。とてもドラマチックな言い草で済まんけど、でもそれが紛れもない真実なんです。
君たちの時間は限られている。だから自分以外の他の誰かの人生を生きて無駄にする暇なんかない。ドグマという罠に、絡め取られてはいけない。それは他の人たちの考え方が生んだ結果とともに生きていくということだからね。その他大勢の意見の雑音に自分の内なる声、心、直感を掻き消されないことです。自分の内なる声、心、直感というのは、どうしたわけか君が本当になりたいことが何か、もうとっくの昔に知っているんだ。だからそれ以外のことは全て、二の次でいい。
PART 7 STAY HUNGRY, STAY FOOLISH
私が若い頃、"The Whole Earth Catalogue(全地球カタログ)"というとんでもない出版物があって、同世代の間ではバイブルの一つになっていました。
それはスチュアート・ブランドという男がここからそう遠くないメンロー
パークで製作したもので、彼の詩的なタッチが誌面を実に生き生きしたものに仕上げていました。時代は60年代後半。パソコンやデスクトップ印刷がまだ普及する前の話ですから、媒体は全てタイプライターとはさみ、ポラロイドカメラで作っていた。だけど、それはまるでグーグルが出る35年前の時代に遡って出されたグーグルのペーパーバック版とも言うべきもので、理想に輝き、使えるツールと偉大な概念がそれこそページの端から溢れ返っている、そんな印刷物でした。
スチュアートと彼のチームはこの”The Whole Earth Catalogue”の発行を何度か重ね、コースを一通り走り切ってしまうと最終号を出した。それが70年代半ば。私はちょうど今の君たちと同じ年頃でした。
最終号の背表紙には、まだ朝早い田舎道の写真が1枚ありました。君が冒険の好きなタイプならヒッチハイクの途上で一度は出会う、そんな田舎道の写真です。写真の下にはこんな言葉が書かれていました。「Stay hungry, stay foolish.(ハングリーであれ。馬鹿であれ)」。それが断筆する彼らが最後に残した、お別れのメッセージでした。「Stay hungry, stay foolish.」
それからというもの私は常に自分自身そうありたいと願い続けてきた。そして今、卒業して新たな人生に踏み出す君たちに、それを願って止みません。
Stay hungry, stay foolish.
ご清聴ありがとうございました。
the Stanford University Commencement address by Steve Jobs CEO, Apple Computer CEO, Pixar Animation Studios
翻訳 市村佐登美
satomi@mediaexpress.org
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"당신은 당신이 사랑하는 찾아야"잡스는 말합니다
이것은 스티브 잡스 CEO는 애플 컴퓨터와 픽사 애니메이션 스튜디오의 6 월 12 일, 2005 배달에 의해 개시 주소의 텍스트입니다.
난 당신과 당신의 오늘 개시 하나는 세계에서 최고의 대학에서 영광입니다. 난 대학을 졸업 절대.솔직히 말해서, 이것이 내가 대학 졸업식에 가장 가까운 쪘구만입니다. 오늘 난 내 인생에서 세 가지 이야기를 말하고 싶어. 이게 다예요. 별거 아냐. 그냥 3 층.
첫 번째 이야기에 관한 점들을 연결합니다.
내가 리드 대학의 첫 6 개월 후, 떨어뜨하지만 그 주변에 드롭에 다른 18 개월에 머물렀고 정도 전에 정말 종료합니다. 그런데 왜 내가 중퇴 했어?
제가 태어나기 전에 시작. 제 생물 학적 어머니는 젊은 미혼의 대학생 대학원생이었고, 그녀는 입양 날 밀어하기로 결정했습니다. 여자는 매우 강력히 제가 대학 졸업자에 의해 채택되어야한다고 생각 했어요, 그래서 이젠 다 날 위해 준비되었다는 출생시 변호사와 그의 부인에 의해 채택되어 있어야합니다. 난 태어 났죠 때 그들은 마지막 순간에 그들이 정말로 여자를 원했겠죠 빼고.대기자 명단에 있었 부모님, 그래서 밤 묻는 중간에 전화를 받았습니다 : "우리는 예상치 못한 아들을 가지고, 당신이 그를 필요합니까?" 그들이 말하길 : "물론 이죠." 제 생물 학적 어머니가 나중에 어머니가 대학을 졸업하고 적이 그 아버지가 고등학교 졸업 적이 알아 냈어. 그녀는 최종 입양 서류에 서명을 거부했습니다. 그녀는 겨우 몇 달 나중에 우리 부모님은 내가 언젠가는 대학에 가고 약속 뉘우치고 일하러.
그리고 17 년 후 나는 대학에 가고어요. 하지만 난 naively, 거의 스탠포드로 비쌌습니다 대학을 선택하고 내 모든 노력 수준의 부모 '저축의 내 대학 등록금에 지출되고 있었다. 6 개월 후에, 나는 그것의 가치를 볼 수 없습니다. 난 아무 생각이 내 인생과 전혀 어떻게 대학은 내가 그것을 찾는 데 도움을 줄 상관 싶다고했다. 그리고 여기있는 모든 부모님이 그들의 전체 목숨을 구해했던 돈을 지출했다. 그래서 내가 중퇴하고 신뢰 그것이 모든 확인을 밖으로 일할 수 있겠구나 결정했다. 꽤 당시 무서웠어요,하지만 다시 한 최고의 결정 중 내가보고되었다. 순간 내가하지 않았 관심 내게 필요한 수업을 막을 수, 하버드를 중퇴하고 재미있는 모습 것들에 떨어지고 시작합니다.
다 로맨틱되지 않았습니다. 난 기숙사가 없었어요, 그래서 친구 객실 바닥에서 자면, 난 5 ¢ 예금과 음식을 구입 콜라 병을 반환, 그리고 매주 일요일 밤 얻을 마을을 가로질러 7 마일을 걸어서 것이 하나의 좋은 헤어 크리슈나 사원에서 식사를 한 일주일 정도. 나는 그것을 사랑 했어. 그리고 얼마의 나는 어디로 나의 호기심과 직관에 따라 발견 무슨 귀중한 나중에 밝혀졌다. 내가 당신에게 한 가지 예를 보여 주자 :
갈대 대학은 그 당시 아마도이 나라에서 최고의 서예 교육을 제공했다. 캠퍼스 모든 포스터, 모든 서랍에있는 모든 레이블, 아름답게 calligraphed 손되었습니다 통해. 나는 하버드를 중퇴했다 때문에 정상적인 수업을 필요는 없었는데, 내가 어떻게이 일을 배우고 서예 수업을하기로 결정했습니다. 나는 리프 샌프란 리프 글꼴에 대해 서로 다른 문자 조합 사이에 공간의 크기를, 무슨 큰 활판 인쇄술을 잘 만드는 변화에 대해 배웠습니다. 그것은 아름답고, 역사, 예술적인 방법으로 과학이 캡처할 수없는 미묘한 있었고, 난 매혹적인 발견.
이것은 제 인생에 어떤 실질적인 응용 프로그램의 희망을했던 없음. 그러나 10 년 후, 우리가 최초의 매킨토시 컴퓨터를 설계했다, 다 내게로 왔어. 그리고 우리는 그 모든 맥으로 설계되었습니다. 그것은 아름다운 활판 인쇄술과 최초의 컴퓨터가되었습니다. 여러 개의 글꼴 또는 비례 간격 글꼴을 못해봤 내가 대학에 단일 코스에 떨어뜨린 적이있다면, 맥했을. 및 Windows는 Mac을, 그 아무 개인용 컴퓨터가 그들을했을 가능성이 높습 복사 때문이다. 내가 떨어뜨린 적이있다면,이 서예 교실에 떨어뜨린 적이, 그리고 개인용 컴퓨터들은 어떻게 훌륭한 인쇄술을하지 않을 것입니다. 물론 점들을 앞으로 할 때 내가 대학에 찾고 연결하는 것은 불가능했다. 하지만 정말 정말 거꾸로 년 후 10 찾고 취소합니다.
다시 말하지만, 당신은 점들을 기대 연결할 수 없다, 당신은 거꾸로보고 그들을 연결할 수 있습니다. 그래서 당신은 그 점들이 어떻게든 당신의 미래에 연결됩니다 믿어야 해요. 당신이 뭔가를 믿어야만 - 당신의 직감, 운명, 인생, 카르마, 뭐든간에. 이 방법은 아래 나를시킨 적이 있으며, 그것은 내 삶의 모든 차이를 만들었습니다.
나의 두 번째 이야기는 사랑과 상실입니다.
전 운이 좋았어요 - 내가 인생에서 일찍 할 사랑을 발견. 워즈 그리고 난 부모님 차고에서 내가 20 있었어요 애플을 시작했습니다. 우리는 열심히 일하고, 10 년 만에 애플은 차고 우리 둘만에 20 억 달러 기업으로 직원 4000여 성장했다. 우린 그저 우리의 최고의 작성 - 매킨토시 - 1 년 일찍, 그리고 난 30 살이 됐을 때였지 발표했다. 그리고 나는 해고 됐어요. 어떻게 당신이 회사에서 해고 확인할 수 있습니다 당신은 시작 했어? 애플이 성장함에 따라 음, 우리는 사람을 고용 내가 누군지 정말 저와 함께 회사를 실행 재능다고 생각하고 처음으로 1 년간 또는 이렇게 일이 잘 갔다.그런데 미래의 우리의 비전과 분기 결국 우리가 가진 시작 밖으로 떨어지고 있습니다. 우리가 한, 우리의 이사회는 그와 함께 양면 있습니다. 그래서 30 전 밖에 있었어요. 그리고 아주 공개적으로 아웃. 왜 사라졌어 내 전체 성인 생활의 초점이되었고, 그것은 치열했습니다.
난 정말 무슨 몇 개월을해야할지 모르겠어요. 내가이 기업의 이전 세대 실망했다 - 내가 가지고 있던 지휘봉을 떨어뜨 그것이 나에게 전달되는 걸 느꼈다. 나는 데이빗 패커드와 밥 노이스와 만나 너무 심하게 망쳐놓는 사과 했어. 난 아주 대중 실패했고, 지금 관심도 떨어져 계곡에서 실행하는 생각. 하지만 뭔가가 천천히 날 새벽에 시작 - 난 아직도 내가 뭘 했어 사랑 했어. 애플 이벤트의 설정이 변경되지 께서 한 비트. 내가 거절했습니다,하지만 난 여전히 사랑했다. 그래서 난 다시 시작하기로 결정했습니다.
그때 나는 그것을 보지 못했다지만, 애플에서 해고를 받고 보니 저에게 일어날 수있는 가장 좋은 일이되었습니다. 성공되는 무거움은 초보자 또, 적은 모든 것에 확신되는 가벼움으로 대체되었습니다. 그것은 나를 하나를 내 인생의 가장 창의적인 기간 입력 해제.
앞으로 5 년 동안, 난 회사를 옆에있는 다른 회사 픽사라는 이름이 시작과 사랑에 내 아내가 될 멋진 여자와 함께했다. 픽사가 처음 컴퓨터를 기능 필름, 토이 스토리, 애니메이션 세계를 만드는 방법에 들어간 후 지금은 세계에서 가장 성공적인 애니메이션 스튜디오입니다. 사건의 놀라운 반전으로 애플은 넥스트를 구입, 나는 애플, 그리고 retuned 기술은 우리가 다음에서 개발된 애플의 현재 르네상스의 핵심이다. 그리고 Laurene와 난 함께 멋진 가족이 있어요.
나는 확신합니다 제가 애플에서 해고되지 않았 더라면 이런 일은 없었 겠죠. 정말 끔찍 시식 의학했는데, 내가 필요한 환자 같아요. 때로는 삶이 벽돌로 머리에 명중. 믿음을 잃지 마십시오. 나는 나를 계속 앞으로 나가게 한 건 내가 한 사랑했다 확신 해요. 당신은 당신이 사랑을 찾아야했습니다. 그것은 당신의 연인을위한대로 그리고 귀하의 작업 마찬가지입니다. 자네는 일을 진정으로 만족하는 인생의 상당 부분, 그리고 유일한 방법을 채울 거라고 당신이 좋은 일만 생각 할 수 있습니다. 그리고 유일한 방법은 위대한 일을 어떻게 사랑하는 것입니다. 당신은 아직 발견하지 않은 경우 계속 알아보고 있었어요. 정착하지 마십시오. 마음의 모든 문제와 마찬가지로, 당신은 당신이 그것을 찾을 알게 되겠죠. 그리고, 어떤 좋은 관계처럼, 그냥 더 년간에 롤로서 괜찮아져. 그래서 당신은 그것을 발견할 때까지 계속 찾아. 정착하지 마십시오.
내 세번째 이야기는 죽음에 대해입니다.
내가 17 살, 내가 좋아하는 뭔가를 갔다 인용 : "당신이 매일 살아 있으면 읽은 상태로 그것은 당신의 마지막으로, 언젠가 당신은 가장 의심 괜찮을거야 있었다면." 그것은 나에게 좋은 인상을 만든 후, 지난 33 년 동안 나는 거울에 매일 아침 보였다하고 자신에게 물었 : "오늘은 내 인생의 마지막 날이라면, 내가 곧 오전 도와야할까요 오늘합니까? " 그리고 때마다 대답했습니다 "행 아니오"너무 많은 날들을 위해, 내가 뭔가를 변경해야 알아.
내가있을거야 기억 죽은 곧 내가 내 인생에서 큰 결정을 내릴 수 있도록 이제까지의 가장 중요한 도구입니다. 거의 다 - 모든 외부의 기대, 모든 자부심, 당황하거나 실패의 두려움 - 이런 것들이 그냥 죽음의 얼굴에, 것만 충분히 중요 떠나는 가을니까. 당신이 죽어가는 기억 난 당신이 뭔가를 잃을 것이없는 사고의 함정을 피하기 위해 알고있는 가장 좋은 방법입니다. 넌 이미 벗고있다. 아무 이유 당신의 마음을 따르도록하지 않습니다.
약 1 년 전에 저는 암 진단했다. 난 7시 30 분에 스캔을했다, 아침에, 그것은 분명 나의 췌장에서 종양을 보여주었다. 그게 뭔지도 췌장 있었 몰랐어요. 의사들은 이것은 거의 확실하게 불치의 암으로하는 유형, 그리고 난 더 이상보다 3 ~ 6 개월을 살 것으로 기대한다라고 말했다. 의사가 날 가서 통보 가정과 질서에 내 사업을 받았고, 의사 코드는 죽을 준비를위한 것입니다. 그것은 당신이 앞으로 10 년 몇 개월 동안 그들에게 얘기를 해 줄 알았는데 아이에게 모든 걸 말할려고하는 것을 의미합니다. 확실히 그건 다 buttoned까지 그것이 가능한 쉽게 가족을위한 것입니다 그 만드는 것을 의미합니다. 그것은 당신의 작별 인사를 의미합니다.
난 하루 종일 진단과 살았다. 그날 저녁 내 위장을 통해 그들이 내 목구멍 내시경을 하더라 생검을했는데, 내 창자로, 제 췌장에 바늘을 넣어 종양으로부터 세포 몇 있어요. 난,하지만 진정되었다 거기 내 아내는, 그들은 현미경으로 의사들은 수술로 치료할 수있다 췌장암의 매우 드문 양식으로 밝혀졌다 때문에 울기 시작 전지를 많이 할 때 말해 줬어. 제가 수술을했고 난 지금은 괜찮아요.
이것은 제가 예전부터 죽음을 직면하는 가장 가까운 있었고, 나는 그것의 몇 가지 더 얻을 수십 년 동안 가장 가까운 곳 바랍니다. 그것을 통해 살았 데, 지금 당신에게 좀 더 확실하게보다 죽음은 있지만 순수하게 지적 개념을 유용했을 때 이렇게 말할 수 있습니다 :
아무도 죽지 싶어. 하늘 나라에 도착 죽고 싶지 않아 가고 싶어도 사람. 그리고 아직 죽음은 우리 모두 공유하는 대상입니다. 아무도 그것을 탈출했습니다. 죽음은 매우 가능성이 생활의 하나의 최고의 발명품이기 때문에 그로가되어야합니다. 그것은 생활의 변화를 주도합니다. 그것은 새로운 길을 만들기 위해 이전을 지웁니다. 지금 새 당신은,하지만 언젠가는 너무 오래 지금부터, 당신은 점차 오래된 될 것이다 멀리 삭제됩니다. 죄송합니다 너무 극적인 수 있지만 사실이다.
시간이 한정되어 있으므로 다른 사람의 인생을 사는 사람을 낭비하지 말자. 마 교조 - 다른 사람의 생각의 결과와 함께 생활에 의해 갇혀 수 있습니다. 다른 사람들의 의견의 소음이 자신의 내면의 목소리를 끌어 내진하지 마십시오. 그리고 가장 중요한 것은, 용기가 당신의 마음과 직관을 따르도록합니다. 그들은 어떻게든 이미 당신이 진정되고 싶다 는거 알아. 모든 다른 보조입니다.
내가 어렸을 때, 한 가지 우리 세대의 바이블 중 놀라운 출판물 지구 전체 카탈로그라는 것이었다. 그것은 동료 스튜어트 브랜드라는 이름으로 만들어진 여기서 멀지 않은 멘로 파크에서, 그는 삶에 그의 시적인 터치와 함께 가져왔습니다. 이것은 1960 년대 후반, 개인용 컴퓨터 및 데스크톱 출판 전에 있었던, 그래서 전부 타자기, 가위, 그리고 폴라로이드 카메라되었다. 그것은 들어서 구글 종이 표지 양식, 35 년간 구글이 함께 오기 전에처럼 : 그것은 이상 주의자 였고, 깔끔한 도구와 위대한 개념으로 넘쳐.
스튜어트와 그의 팀은, 전체 지구 카탈로그의 여러 문제를 밖으로 집어 넣고 때 그 과정을 실행했다, 그들은 마지막 문제를 끄다. 그것은 1970 년대 중반 였고 난 네 나이. 다시 그들의 마지막 문제의 표지에 이른 아침 나라 도로의 사진을 그렇게 모험이라면, 종류에 자신 히치 하이 크를 찾을 수 있었어요. 그것은 단어 : "유지 배고 프 네요. 가만히 아래 어리석은했다." 그들은 서명으로 그것은 그들의 작별 메시지가되었습니다. 유지 배고 프 네요. 유지 어리석은. 그리고 전 항상달라고했으면 그 자신을 위해. 그리고 지금, 당신이 졸업 새로 시작, 내 소원이 있어요.
유지 배고 프 네요. 유지 어리석은.
모두에게 대단히 감사합니다.
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Stanford Report, June 14, 2005
"You've got to find what you love," Jobs says
This is the text of the Commencement address by Steve Jobs, CEO of Apple Computer and of Pixar Animation Studios, delivered on June 12, 2005.
I am honored to be with you today at your commencement from one of the finest universities in the world. I never graduated from college. Truth be told, this is the closest I've ever gotten to a college graduation. Today I want to tell you three stories from my life. That's it. No big deal. Just three stories.
The first story is about connecting the dots.
I dropped out of Reed College after the first 6 months, but then stayed around as a drop-in for another 18 months or so before I really quit. So why did I drop out?
It started before I was born. My biological mother was a young, unwed college graduate student, and she decided to put me up for adoption. She felt very strongly that I should be adopted by college graduates, so everything was all set for me to be adopted at birth by a lawyer and his wife. Except that when I popped out they decided at the last minute that they really wanted a girl. So my parents, who were on a waiting list, got a call in the middle of the night asking: "We have an unexpected baby boy; do you want him?" They said: "Of course." My biological mother later found out that my mother had never graduated from college and that my father had never graduated from high school. She refused to sign the final adoption papers. She only relented a few months later when my parents promised that I would someday go to college.
And 17 years later I did go to college. But I naively chose a college that was almost as expensive as Stanford, and all of my working-class parents' savings were being spent on my college tuition. After six months, I couldn't see the value in it. I had no idea what I wanted to do with my life and no idea how college was going to help me figure it out. And here I was spending all of the money my parents had saved their entire life. So I decided to drop out and trust that it would all work out OK. It was pretty scary at the time, but looking back it was one of the best decisions I ever made. The minute I dropped out I could stop taking the required classes that didn't interest me, and begin dropping in on the ones that looked interesting.
It wasn't all romantic. I didn't have a dorm room, so I slept on the floor in friends' rooms, I returned coke bottles for the 5¢ deposits to buy food with, and I would walk the 7 miles across town every Sunday night to get one good meal a week at the Hare Krishna temple. I loved it. And much of what I stumbled into by following my curiosity and intuition turned out to be priceless later on. Let me give you one example:
Reed College at that time offered perhaps the best calligraphy instruction in the country. Throughout the campus every poster, every label on every drawer, was beautifully hand calligraphed. Because I had dropped out and didn't have to take the normal classes, I decided to take a calligraphy class to learn how to do this. I learned about serif and san serif typefaces, about varying the amount of space between different letter combinations, about what makes great typography great. It was beautiful, historical, artistically subtle in a way that science can't capture, and I found it fascinating.
None of this had even a hope of any practical application in my life. But ten years later, when we were designing the first Macintosh computer, it all came back to me. And we designed it all into the Mac. It was the first computer with beautiful typography. If I had never dropped in on that single course in college, the Mac would have never had multiple typefaces or proportionally spaced fonts. And since Windows just copied the Mac, its likely that no personal computer would have them. If I had never dropped out, I would have never dropped in on this calligraphy class, and personal computers might not have the wonderful typography that they do. Of course it was impossible to connect the dots looking forward when I was in college. But it was very, very clear looking backwards ten years later.
Again, you can't connect the dots looking forward; you can only connect them looking backwards. So you have to trust that the dots will somehow connect in your future. You have to trust in something — your gut, destiny, life, karma, whatever. This approach has never let me down, and it has made all the difference in my life.
My second story is about love and loss.
I was lucky — I found what I loved to do early in life. Woz and I started Apple in my parents garage when I was 20. We worked hard, and in 10 years Apple had grown from just the two of us in a garage into a $2 billion company with over 4000 employees. We had just released our finest creation — the Macintosh — a year earlier, and I had just turned 30. And then I got fired. How can you get fired from a company you started? Well, as Apple grew we hired someone who I thought was very talented to run the company with me, and for the first year or so things went well. But then our visions of the future began to diverge and eventually we had a falling out. When we did, our Board of Directors sided with him. So at 30 I was out. And very publicly out. What had been the focus of my entire adult life was gone, and it was devastating.
I really didn't know what to do for a few months. I felt that I had let the previous generation of entrepreneurs down - that I had dropped the baton as it was being passed to me. I met with David Packard and Bob Noyce and tried to apologize for screwing up so badly. I was a very public failure, and I even thought about running away from the valley. But something slowly began to dawn on me — I still loved what I did. The turn of events at Apple had not changed that one bit. I had been rejected, but I was still in love. And so I decided to start over.
I didn't see it then, but it turned out that getting fired from Apple was the best thing that could have ever happened to me. The heaviness of being successful was replaced by the lightness of being a beginner again, less sure about everything. It freed me to enter one of the most creative periods of my life.
During the next five years, I started a company named NeXT, another company named Pixar, and fell in love with an amazing woman who would become my wife. Pixar went on to create the worlds first computer animated feature film, Toy Story, and is now the most successful animation studio in the world. In a remarkable turn of events, Apple bought NeXT, I retuned to Apple, and the technology we developed at NeXT is at the heart of Apple's current renaissance. And Laurene and I have a wonderful family together.
I'm pretty sure none of this would have happened if I hadn't been fired from Apple. It was awful tasting medicine, but I guess the patient needed it. Sometimes life hits you in the head with a brick. Don't lose faith. I'm convinced that the only thing that kept me going was that I loved what I did. You've got to find what you love. And that is as true for your work as it is for your lovers. Your work is going to fill a large part of your life, and the only way to be truly satisfied is to do what you believe is great work. And the only way to do great work is to love what you do. If you haven't found it yet, keep looking. Don't settle. As with all matters of the heart, you'll know when you find it. And, like any great relationship, it just gets better and better as the years roll on. So keep looking until you find it. Don't settle.
My third story is about death.
When I was 17, I read a quote that went something like: "If you live each day as if it was your last, someday you'll most certainly be right." It made an impression on me, and since then, for the past 33 years, I have looked in the mirror every morning and asked myself: "If today were the last day of my life, would I want to do what I am about to do today?" And whenever the answer has been "No" for too many days in a row, I know I need to change something.
Remembering that I'll be dead soon is the most important tool I've ever encountered to help me make the big choices in life. Because almost everything — all external expectations, all pride, all fear of embarrassment or failure - these things just fall away in the face of death, leaving only what is truly important. Remembering that you are going to die is the best way I know to avoid the trap of thinking you have something to lose. You are already naked. There is no reason not to follow your heart.
About a year ago I was diagnosed with cancer. I had a scan at 7:30 in the morning, and it clearly showed a tumor on my pancreas. I didn't even know what a pancreas was. The doctors told me this was almost certainly a type of cancer that is incurable, and that I should expect to live no longer than three to six months. My doctor advised me to go home and get my affairs in order, which is doctor's code for prepare to die. It means to try to tell your kids everything you thought you'd have the next 10 years to tell them in just a few months. It means to make sure everything is buttoned up so that it will be as easy as possible for your family. It means to say your goodbyes.
I lived with that diagnosis all day. Later that evening I had a biopsy, where they stuck an endoscope down my throat, through my stomach and into my intestines, put a needle into my pancreas and got a few cells from the tumor. I was sedated, but my wife, who was there, told me that when they viewed the cells under a microscope the doctors started crying because it turned out to be a very rare form of pancreatic cancer that is curable with surgery. I had the surgery and I'm fine now.
This was the closest I've been to facing death, and I hope its the closest I get for a few more decades. Having lived through it, I can now say this to you with a bit more certainty than when death was a useful but purely intellectual concept:
No one wants to die. Even people who want to go to heaven don't want to die to get there. And yet death is the destination we all share. No one has ever escaped it. And that is as it should be, because Death is very likely the single best invention of Life. It is Life's change agent. It clears out the old to make way for the new. Right now the new is you, but someday not too long from now, you will gradually become the old and be cleared away. Sorry to be so dramatic, but it is quite true.
Your time is limited, so don't waste it living someone else's life. Don't be trapped by dogma — which is living with the results of other people's thinking. Don't let the noise of others' opinions drown out your own inner voice. And most important, have the courage to follow your heart and intuition. They somehow already know what you truly want to become. Everything else is secondary.
When I was young, there was an amazing publication called The Whole Earth Catalog, which was one of the bibles of my generation. It was created by a fellow named Stewart Brand not far from here in Menlo Park, and he brought it to life with his poetic touch. This was in the late 1960's, before personal computers and desktop publishing, so it was all made with typewriters, scissors, and polaroid cameras. It was sort of like Google in paperback form, 35 years before Google came along: it was idealistic, and overflowing with neat tools and great notions.
Stewart and his team put out several issues of The Whole Earth Catalog, and then when it had run its course, they put out a final issue. It was the mid-1970s, and I was your age. On the back cover of their final issue was a photograph of an early morning country road, the kind you might find yourself hitchhiking on if you were so adventurous. Beneath it were the words: "Stay Hungry. Stay Foolish." It was their farewell message as they signed off. Stay Hungry. Stay Foolish. And I have always wished that for myself. And now, as you graduate to begin anew, I wish that for you.
Stay Hungry, stay foolish.
Thank you all very much.